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対馬の神社・磐座(いわくら)について
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 昨今のパワースポットブームの影響か、今年は神社関連の問い合わせが増加しています。
 対馬の神社について紹介いたします。

 神社紹介の際、よく引用される資料として、「延喜式神名帳」(えんぎしきじんみょうちょう)があります。延喜式神名帳は、10世紀初頭に朝廷から官社として認められていた神社を一覧にまとめたもので、ここに記載された神社を一般に「式内社」と呼び、古くから格が高い神社として一種の社格になっています。

 全国の式内社の総数は、神社2861社(神々3132座)で、西海道(九州)では107座の式内社がありますが、実は、対馬には九州最大の29座、お隣の島壱岐には24座の式内社があり、2島で西海道の半分をしめています。
 この式内社の多さは異常で、この2島がいわば「神々の島」として認識されていたことがうかがえます。

 ちなみに、筑前(福岡)は19座ですが、より霊験あらたかとされる名神大社が多く、「福岡~壱岐~対馬」という朝鮮半島・大陸航路を朝廷が重要視していた事実が反映されているようです。
 一方、天孫降臨の地とされる宮崎・鹿児島には式内社は計11座(大社は1つ)しかないなど、奇妙な現象が見られます。(朝廷の抵抗勢力が多かったため?)

式内社
対馬 29座 (大社6、小社23)
壱岐 24座 (大社7、小社17)
筑前 19座 (大社16、小社3)


対馬の代表的な神社としては、

 対馬一の宮 海神神社(かいじんじんじゃ)、和多都美神社(わたつみじんじゃ)などがあります。

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両社とも大海神・豊玉彦(とよたまひこ)の娘・豊玉姫(とよたまひめ)を祭り、豊玉姫が航海と安産の神であることから、かつての島主・藩主から庶民にいたるまで厚い崇敬の念を抱かれてきました。

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拝殿・本殿も立派で、周辺の雰囲気も非常によいのですが、ちょっと奥を探索すると、意外なものが姿を現してきます。

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和多都美神社の本殿裏の参道を少し進むと、「豊玉姫の墳墓」と伝えられる岩塊が・・・。
古代の祭祀跡「磐座」(いわくら)です。
かつては、こうした磐座の周囲で祭祀を行い、卑弥呼のようなシャーマンに神々が憑依?し、神託を下したと考えられています。

時代が下ると、こうした交通の不便な地、野外での祭祀は廃れ、集落の近くに神社を建設してそこで神事を行うようになっていきます。
現在、大都市では、開発により取り壊された神社がビルの屋上に鎮座している例もありますが、対馬では今でも古代の祭祀の姿が色濃く残されています。

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たとえば、厳原の某神社の本殿横の細い山道を少し登ると・・・。

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磐座登場!圧倒的な雰囲気。一人で来るんじゃなかった、とちょっと後悔(-_-;)
対馬では、神社(建物)以外のこうした「本体」によく出くわします。
本体(磐座、原始林など)周辺を神域として俗人の侵入を禁止し、その代わりに、誰もが遠くから拝む場所として遥拝所=神社を建築していったのかも知れません。

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白嶽(しらたけ)です。
九州百名山のひとつとして登山客に人気の山ですが、対馬の修験道の中心地のひとつでもあり、いまでも神聖な山として島民に愛されています。
見方によれば、この白嶽自体が巨大な磐座なのかもしれません。

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写真は、美津島町今里の「志賀神社」(しかじんじゃ)です。鹿ノ島という小島に神社があり、船でしか行けません。祭神は海神・磯良(いそら)。

対馬は89%が山地であり、四方を荒れる外洋に囲まれています。
耕地が少ない対馬の人々は、古代から海を渡る海洋民族であり、危険と隣あわせの日々を生きていました。
対馬のいたるところに鎮座する神々は、そうした人々の「祈り」から生まれたのかも知れません。
対馬要塞について
「国境の島・対馬」は、古代から現代まで常の国防の最前線でした。
(現在でも、航空・海上・陸上それぞれの自衛隊の基地があります)
幕末から第2次大戦まで、対馬には営々と要塞・砲台が築かれましたが、現在、これらの「砲台跡」「要塞跡」は草木に埋もれつつ、静かに眠りについています。
今回は、各時代の代表的な要塞を紹介します。
※資料により、砲台の種別・門数などに異同があります。

【第1期 日清戦争への備え】
芋崎砲台
工期: 明治20年着工、21年竣工
所在地: 対馬市美津島町昼ヶ浦
砲台種別: 28センチ榴弾砲4門、射程7900m
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【第2期 日露戦争への備え】
城山砲台
工期: 明治33年着工、明治34年竣工
所在地: 対馬市美津島町黒瀬
砲台種別: 28センチ榴弾砲4門、射程7900m
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姫神砲台
工期: 明治33年着工、明治35年竣工
所在地: 対馬市美津島町緒方
砲台種別: 28センチ榴弾砲6門、射程7900m
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上見坂堡塁
工期: 明治34年着工、明治35年竣工
所在地: 対馬市厳原町北里
砲台種別: 9センチ臼砲2門?
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※「堡塁」(ほうるい)は、攻撃主体の砲台とは異なり、砲台等の後方防衛の機能を持つものを指します。上見坂堡塁は、ロシアが小茂田浜(対馬西海岸、元寇の古戦場)から上陸した場合の備えとして設計されています。


【第3期 第2次大戦前】
豊砲台
工期: 昭和4年着工、昭和9年竣工
所在地: 対馬市上対馬町豊
砲台種別: 40センチカノン砲2門、射程30000m
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上見坂堡塁、豊砲台は自動車で行くことができます。
城山砲台は旧軍道がトレッキングルートとして整備されています。
姫神砲台・芋崎砲台への道は未整備で、ややわかりにくい状況です。

【おまけ その1】
対馬北端・上対馬町鰐浦(わにうら)の海栗島は、航空自衛隊の基地になっており、巨大なレーダー(球形)が国境の海を睨んでいます。
水平線の上に浮かんでいるのは韓国の陸影です。
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【おまけ その2】
667年、白村江の戦いの後に築かれた古代山城・金田城跡です。城山砲台同じ位置にあり、1300年前の山城と100年前の砲台が共存しています。
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【おまけ その3】
豊臣秀吉の朝鮮出兵時(16世紀末)に築かれた清水山城の本丸(一の丸)跡です。
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国境の島・対馬には、朝鮮半島・大陸進出の前線基地、国防の最前線としての歴史が刻まれてきました。
観光パンフレットの配布について
 対馬観光物産協会では、各種観光パンフレットを配布しています。
 パンフレットご請求の際は、以下の情報をご参照の上、ご希望のパンフレットをご指定ください。ご指定がない場合は、一般観光パンフレットをお送りします。
 ダウンロード可能なもの、お隣の島・壱岐のパンフレットもあります。

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■一般観光
対馬まる分かりガイドマップ (PDF形式2.1MB ダウンロード
対馬ガイドブック
いづはら飲食店マップ

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■歴史関係
ぶらり厳原
国指定特別史跡 金田城跡
善隣外交の華 朝鮮通信使

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■自然関係
対馬トレッキングガイドブック (PDF形式8.6MB ダウンロード
対馬の巨木と自然
対馬のバードウォッチング (PDF形式1.2MB ダウンロード

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■エコツアー・シーカヤック関係
対馬エコツアー(シーカヤックツアー専門業者)
浅茅湾エコツアー
対馬カヤックス(シーカヤックツアー専門業者)

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■渡海船関係
『ニューとよたま』でめぐる浅茅湾の旅
第五みつしま屋形船

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■壱岐関係
壱岐日記
壱岐市観光マップ

「対馬トレッキングガイドブック」の配布について
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 対馬観光物産協会では、九州百名山・白嶽、国指定特別史跡・金田城跡(城山)など、対馬の10の山々の特徴・見どころ・交通アクセスなどを紹介した「対馬トレッキングガイドブック」を作成しました。対馬でのトレッキングに興味のある方は、郵送いたしますのでお問い合わせください。

全頁ダウンロードも可能です。
>>「対馬トレッキングガイドブック」 PDF形式(8.6MB)

■内容■
・対馬の山々の特徴
・対馬花ごよみ
・地図と移動所要時間
・白嶽(しらたけ) 4ページ
・城山(じょうやま) 4ページ
・有明山(ありあけやま)・清水山(しみずやま) 4ページ
・龍良山(たてらさん) 4ページ
・御岳(みたけ) 4ページ
・木坂野鳥の森(きさかやちょうのもり) 1ページ
・烏帽子岳(えぼしだけ) 1ページ
・千俵蒔山(せんびょうまきやま) 1ページ
・遠見山(とおみやま) 1ページ
・郷土料理紹介 1ページ
・温泉紹介 1ページ
・装備チェックリスト・注意事項 1ページ

■備考
A5サイズ、カラー32ページ
平成21年度長崎県まちづくり総合推進支援事業
「佐賀貝塚 巨大貝塚が語るもの」 正林護先生講演会の開催について
佐賀貝塚とは?
貝塚とは古代の人が食した魚、獣の骨や貝殻、土器などを捨てた場所を言います。
1985年(昭和60)に発掘調査した結果、縄文時代後期の住居跡3棟、埋葬人骨6体、骨角器約500点、黒曜石約3700点、石斧312本など、対馬初の縄文後期住居跡や貴重な骨格器など多数確認された貴重な遺跡です。

■ 内容 ■
主催 対馬の自然と文化を守る会
後援 対馬市教育委員会
日時 平成22年6月6日(日) 13:00~14:30
場所 対馬市峰地区公民館
参加費 無料
申込 事前申込は不要です。
問合せ 対馬市教育委員会文化財課(電話0920-54-2341)

■ 講演者 ■
講師 正林 護(しょうばやし まもる)
長崎県考古学協会会長。昭和60年の佐賀貝塚・第二次発掘調査で調査主任として大きな成果をあげる。
《著作》
「峰町文化財調査報告第九集」『佐賀貝塚』ほか調査報告書
「ながさき古代紀行vol.1対馬」((株)タウンユース社)

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