2010-02-23 10:45:00 (198 days ago)
2010年2月8日、5月に予定されている歴史ツアーの下見のため、峰町~対馬北部の調査を行いました。
行程:
・西漕手(古代の大陸航路の港)
・豊玉町千尋藻の漣痕(3000万年前の海底が化石化したもの)
・曽の六観音(修林寺。曽の和尚さんが朽木の和尚さんと博打をして入手したもの)
・峰町歴史民俗資料館~原田三郎衛門の碑(江戸時代、薩摩藩に潜入し、対馬にサツマイモを導入)
・佐奈豊の朝鮮王姫の墓(秀吉の朝鮮出兵時に日本に連れてこられ、この地で亡くなったとされる)
・壬神社(みずのえじんじゃ。豊崎郡主・宗盛国をまつる。盛国は少弐氏とともに、大内氏と戦い敗死。軍扇のみがこの地に流れ着いた、という伝承がある)
・上対馬歴史三宇田浜のマリア観音
・上対馬西泊の権現山・遠見山(古代の烽火代、遠見番所跡)
・比田勝の神石三ツ石(元寇時に山腹から巨石が飛来し、賊船を追い払った、という伝承)
・上対馬歴史民俗資料室
古代から近世まで、対馬の歴史の奥深さを実感した1日でした。
気になったものを2つほど・・・。

上対馬町三宇田浜のマリア観音です。対馬にもいくつかキリシタン色の濃い寺院があります。対馬藩初代藩主・宗義智は、ダリオという洗礼名をもっており、妻は一族のほとんどがキリシタンであった小西行長の娘・マリア。のちのキリシタン弾圧と、関ヶ原の合戦による小西行長の処刑などのため、宗義智は棄教しますが、島主がキリシタンであったという状況を考えると、家臣や庶民にも信者が多かったと考えられます。
このマリア観音がいつの時代のものなのかはわかりませんが・・・。

上対馬町小鹿の松島公園の水道。ヤマネコデザイン(^^)
行程:
・西漕手(古代の大陸航路の港)
・豊玉町千尋藻の漣痕(3000万年前の海底が化石化したもの)
・曽の六観音(修林寺。曽の和尚さんが朽木の和尚さんと博打をして入手したもの)
・峰町歴史民俗資料館~原田三郎衛門の碑(江戸時代、薩摩藩に潜入し、対馬にサツマイモを導入)
・佐奈豊の朝鮮王姫の墓(秀吉の朝鮮出兵時に日本に連れてこられ、この地で亡くなったとされる)
・壬神社(みずのえじんじゃ。豊崎郡主・宗盛国をまつる。盛国は少弐氏とともに、大内氏と戦い敗死。軍扇のみがこの地に流れ着いた、という伝承がある)
・上対馬歴史三宇田浜のマリア観音
・上対馬西泊の権現山・遠見山(古代の烽火代、遠見番所跡)
・比田勝の神石三ツ石(元寇時に山腹から巨石が飛来し、賊船を追い払った、という伝承)
・上対馬歴史民俗資料室
古代から近世まで、対馬の歴史の奥深さを実感した1日でした。
気になったものを2つほど・・・。

上対馬町三宇田浜のマリア観音です。対馬にもいくつかキリシタン色の濃い寺院があります。対馬藩初代藩主・宗義智は、ダリオという洗礼名をもっており、妻は一族のほとんどがキリシタンであった小西行長の娘・マリア。のちのキリシタン弾圧と、関ヶ原の合戦による小西行長の処刑などのため、宗義智は棄教しますが、島主がキリシタンであったという状況を考えると、家臣や庶民にも信者が多かったと考えられます。
このマリア観音がいつの時代のものなのかはわかりませんが・・・。

上対馬町小鹿の松島公園の水道。ヤマネコデザイン(^^)